ふと学生時代の出来事を思い出したので、記憶が残っているうちに文章として記録を残しておきたいと思いました。
今となってはインターネットが発達し、少し調べれば「飛田新地」の情報はいくらでも出てきますが、私は一切の予備知識がない状態で偶然あの地域に迷い込み、「現代日本にこんな場所があるはずがない!過去か異次元の世界に飛ばされてしまったんだ!」と死ぬほど焦った経験があるのです。
田舎から出てきた貧乏学生による、異世界転移の疑似体験談のようなものとしてお読みください。
※あっち方面の話は一切ありませんので期待しないでください。
貧乏学生自転車移動
高校卒業後、私は大阪の公立大学に進学し、大阪市の住吉区で一人暮らしをしていました。
(ほとんど大学名書いてるようなもんだが意地でも書かない)
共益費込み3万円という大阪市内とは思えない家賃のボロアパートに暮らし、利息無しの奨学金も取れていたものの、実家は裕福ではなかったので仕送りには期待できず、バイト代が入る前の月末にはいつも財布はすっからかんでした。
これはそんな2005年頃の出来事です。
貧乏学生だった私は、服を買うときは心斎橋まで行き、アメリカ村の古着屋をよく利用していました。
当時はアメ村が健全化される途上ぐらいの時期で、まだ怪しい客引きも多かった一方、玉石混交の古着を安く売っているお店もたくさんありました。
(※GUの開業より前、ファストファッションという概念も知られておらず、新品の安価な服でオシャレを楽しむのはまだ難しかったのです)
とはいえ、安く服を買うために交通費をかけては意味がありません。
私はボロボロのママチャリで、住吉区からミナミまで片道小一時間かけて移動していました。
知らない町での近道という失策
私は大阪に土地勘がないため、道を間違えないよう、いつも地下鉄の御堂筋線が通っているルートで移動していました。
(※携帯電話は十分に普及していましたが、リアルタイムの高精度なナビが実用的なレベルに達するのはまだ先のことです)
若かったので体力的には大丈夫とはいえ、きつかったのが道中の坂道です。
変速なしのママチャリで長い上り坂を踏破するのは大変で、疲れた帰り道ならなおさらでした。
そんないつものアメ村から住吉区への帰り道、動物園前から天王寺への道の途中で、「ここからの上り坂いやだなあ」と坂道を見上げた私はふと考えました。
「ん?右に曲がってこの裏道を行けば坂道を避けた平坦なルートで帰れるのでは?そんで適当なとこで左折したらいつもの道に出れるっしょ」
天王寺周辺の地理に明るい人にしか分からないような話で申し訳ないのですが、伝わる人には一発で伝わるでしょう。
私はここで絶妙なルートを選んでしまいました。
知らなかったのです。ここを右折した先にあるのが西成区だということを。
西成の裏道を走る
この細い路地に入った私は、最初の方こそ「えらく人通りのない道やな、ここ人住んでんのか?」ぐらいの軽いノリで自転車をこいでいました。
しかし時間帯もあってか、見知らぬ道は進むほどに人の姿がなく、そのうえあからさまな組事務所もあったりして、徐々に不安な気分になってきました。
私は「やばいところに来てしまった、少しでも大きい通りに出たらそこで左折しよう」と決めました。
ところが、なかなか大きい道路には出ません。
それどころか、廃業しているようにしか見えない飲食店や、錆びてボロボロの看板、トタンの壁で塞がれた家屋など、地元の田舎でも見ないような光景が続きます。
引き返そうかとも思いましたが、先ほどの事務所のこともあり、「とにかく一刻も早くこの怖い地域を抜けよう」と先を急ぎました。
しかし、本当の恐怖はここからでした。
信じられない光景
ボロボロの路地を進んでいき、シャッター街の商店街を通過したその時、突如として空気が変わりました。
本当に文字通り「空気が変わった」、見えない膜を突き抜けた瞬間に風景の色調にフィルターがかかったような異様な感覚は未だに忘れられません。
筆文字で書かれた看板、軒先に吊るされた提灯、そして開け放たれた玄関に座る女性の姿。
「え?なんで遊郭が現代日本に?」
私は「大阪では条例により店舗型風俗が存在しない」ということを知識としてだけ知っていました。
そのことも拍車をかけ、既に恐怖心を限界まで募らせていた私の不安は変な方向に暴発しました。
「ということはここは現代日本の大阪じゃない!過去の時代か異次元の世界に飛んできてしまったのでは!?」
「いやアホかお前は」とお思いでしょう。
しかしこの時の私の混乱具合は、主観的には完全に「人生最大のピンチ」のレベルでした。
あそこは自転車で走ってはいけない区域だと思うのですが(すいませんでした)、他に通りを歩いている人は全然見かけなかったと記憶しています。
ちょうどお店が開き始める時間帯だったのでしょうか、その雰囲気も、「千と千尋の神隠し」の序盤のシーンで、日が暮れるにつれて向こうの世界のお店にブワーッと灯りがついて開店し始めちゃう場面分かりますか?
「早く元の世界に戻らないとこの世界に取り込まれてしまう!急いで抜け出さないとここで死んでしまう!」の絶望感です。
(画像はスタジオジブリ公式提供の静止画像集より)
ともかく私は、命からがら通りを駆け抜けました。
しばらく走って目の前に高架道路が見えたときの安堵感は忘れられません。「しめた!現代日本に繋がった!」と本気で感じました。
それでも阿倍野あたりに出るまでは、本当に一切脇目も振らず、後ろを振り返ることもなく全力疾走です。
そして、市街地に出てなお自宅にたどり着くまでは気が気でなく、「また背後から時空の裂け目が迫っているのでは?」という不安が消えませんでした。
生還翌日
次の日、疲れから泥のように眠って目覚めた私は多少冷静さを取り戻しました。
そして、タイムスリップだの何だのといった恥ずかしい部分を伏せたうえ、この体験を大阪生まれ大阪育ちの友人に話したところ、「ああ飛田新地やな」と事も無げに言われました。
名前が分かると「そんな有名なんかアレ」と拍子抜けしてしまいました。
しかし、お化けなんかありえないと分かっていても、実際に心霊体験に遭ったことがある人はその恐怖心が忘れられないでしょう。
私自身、道順や目にした光景の記憶はおぼろげですが、あのえも言われぬ不気味な感覚だけはまざまざと思い出され、こうして文章にしたためるだけで背筋を嫌な汗が伝います。
そう考えると、異世界転移やら異世界転生ものの主人公っていくらなんでも物分かりがよすぎなんですよね。
中にはそういう作品もあるんでしょうが、絶対「ヒィーーッ!!」「うぎゃあーー!!!」「お助けぇ〜〜(失禁)」みたいな感じになりますよ。
存在しないはずのものが目の前に現れたときの異物感は、言葉で言い表せるものではありません。
しかし、あの恐怖は「何でもネットで調べることができなかった時代」だからこそのものであり、情報で溢れる今の時代には起こり得ないことなのだな、と思うと一抹の寂しさも感じるのでした。