「女が歌ってるメタルは嫌い」の自己分析

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私は本当に、音楽を聴き始めた中学生時分から「女性ボーカルのハードロック/ヘヴィメタル」が物凄く苦手で受け付けられません。
同じ考えの人に何度か会ったこともありますが、自分でも「なぜ?」とずっと思いつつ、そこまで深堀りする機会はありませんでした。
今回、ちょっとしたきっかけで自分自身の思考を整理することができたので、過程を記録しておきます。

「Adoなら良さそう」はどこから来たのか

今回、久々に「なぜ自分は女性ボーカルのメタルが嫌いなんだろう」というテーマについて考えたのですが、そのきっかけは、SNS上でAdoのアーティスト性について賛否が巻き起こっていたことです。
その論点は「”自分で作詞作曲してこそアーティストである”という考えの是非」「歌唱力の評価」など様々でしたが、その中で偶々「Adoの声はメタルに向いているのではないか」というのを見かけました。

私はそれを見て直感的に「おお、確かにそうだ」と思ったのですが、そこでふと考えました。
「なぜ俺はずっと女ボーカルのメタルが苦手なのに、Adoがメタルを歌うのを想像して即座に良さそうだと感じたのか?」
これをきっかけに、私は自分自身「女性ロックシンガー全般に失礼だよな」と内心思っていた自分の嗜好の言語化を試みることにしました。

※以下、「〇〇はロック/メタルではない」的な表現が出てきますが、それはカテゴライズの論争でよくある「〇〇なんてメタルとは認めない」というような趣旨ではなく、私が無理なく聴ける女性ボーカルのバンドについての主観的な認識を便宜上分類するものです。

決して「女性ボーカルがダメ」ではない

最初に明示しておきたいのは、私が「女性の歌声が苦手」ということでは全くないという点です。
もちろん女性蔑視の意図も断じてありません。
少し前に、今更ながら「私を構成する42枚」をかなり真面目に選出したのですが、その中に含まれているCoocoやトゲナシトゲアリ以外にも、好きな女性ボーカリストは多くいます。

私を構成する42枚(1985年生まれ田舎出身デスメタル男性)
流行りから随分経ちましたが、「私を構成する42枚」を本気でやって自分用の記録として残しておこうと思います。選出のうえでは、音楽通ぶって見栄を張るようなことを一切やらないというルールを遵守します。「評価の高い名盤を無理に入れる、あるいは逆に作...

今だとAdoとか星街すいせいの歌声は凄く好きです。
極端な例として、アイドルの曲や声優歌唱のアニメソングもまったくもって平気です。
また、バンドサウンドのアーティストであっても、「ハードロック~ヘヴィメタル」の範疇でなければ問題なく聴けます。

世間的には明らかにロックに分類されるであろうBAND-MAIDとか、あるいは昔だと相川七瀬なんかもそこまで苦手ではありません。
なぜかゴリゴリのロックサウンドというより「ビーイング系のロック系プロダクションに女性ボーカルが乗っている」という感じに聞こえるんですよね。

その一方、もっと王道HR/HM然とした曲調になってくると、女性ロックバンドの草分けであるSHOW-YAから、陰陽座、BABYMETAL、昨今のガールズメタルバンドや海外の女性ボーカルバンドまで、もう本当に全部ダメ(※デスボイスは別)。
このあたりのバンドを好きな人や、実際にその手のバンドをやっている人も身近にいて申し訳ないのですが、聴いていて耐えられないレベルのものが山ほどあります。
Alissa White-Gluz以降のARCH ENEMYなど、エクストリームメタル方面で女性クリーンボーカルが突然入ってくると、毎回ずっこけそうになります。

キンバリー・ゴスという例外

それらに対し、私が人生で初めて、かつほぼ唯一といっていいレベルでハマった女性クリーンボーカルのメタル作品が、SINERGYの3rdアルバム「Suicide By My Side」(2002)でした。

SINERGYは、故Alexi Laiho(Children of Bodom)のパートナーでもあったKimberly Gossをボーカルとするバンド。
スタート時点ではAlexiとともにIN FLAMESのJesper Strömbladもギタリストを務める等、プロジェクト的な印象もありましたが、のちにパーマネントなバンドとして活動し、日本でも結構な人気でした。

活動当時、「3rdよりも1stや2ndの方がメロディアスで良い」という意見を目にしたのですが、私は3rdアルバムがぶっちぎりで好きで、1stや2ndはそこまで好みではありませんでした。
改めて聴き直して分かったその理由が、3rdアルバムのキンバリーはかなり野太い声で歌っているんですよね。
私は当時高校生でしたが、メタル好きの同級生に聴かせた際には「えっこれ女の人!?」と驚かれました。

いや、もちろん普通に聴けば女性ボーカルだと分かります。
しかし、「メタルは男がボーカル」という先入観をもって事前情報なしに聴けば、下手すれば女性と気付かない可能性もあるのではないかと思います。

実のところ、キンバリーは最初はもっと女性的な声で歌っていました。

これこそがまさに私が1stや2ndを好きではなかった理由です。
元々の歌唱法と比較すれば明らかな通り、3rdアルバムでのキンバリーは明確に力強いボーカルスタイルに移行しています。
あえて誤解を恐れずに表現すれば、「女性らしさという武器を犠牲にした雄々しい歌い回し」を意図的にやっていると言っていいレベルの変化です。

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メタルに求めるもの

ここで「自分がメタルに求めているもの」が何なのか考えました。
それって要は人体の限界に挑戦していることなんですよね。
メタルの魅力の一つはいわゆる「超絶技巧」だと思うのですが、それを踏まえると、メタルの重要な構成要素としてめちゃくちゃ頑張って演奏していることが必須なわけです。

ギターが一番わかりやすいです。
とんでもない速弾き、複雑なリフワーク、いずれも一朝一夕に身につくものではありません。
メタルというジャンルには、アマチュアでさえ「部屋で8時間は練習しろ」が冗談ではないレベルの鍛錬をひたすら繰り返してきたような人がザラにいます。

ドラムのツーバスやブラストビートもそうです。
ベースに関しては、HR/HMではルートばかり弾いていることもままありますが、それにしたって「延々頭を振りながらリズムキープを維持しつつ16分を弾き続ける」というのは楽なことではありません。
どうやら自分の中には、「汗だくになりながら必死に演奏する」あるいは「涼しい顔で演奏していても、その裏で血を吐くような努力を積み重ねてきたことが見ただけで分かる」、それこそがメタルの本質だという考えが根底にあるようです。

これは先に挙げたSINERGYの3rdにおけるキンバリーの歌唱法にも当てはまります。
あのパワー重視の歌声は「訓練により身につけた技巧」であり、私はそこに、男性ボーカルが高い声で歌っているのと同等の「限界への挑戦」感を見出したのだと思います。

そして、多くの女性ボーカルHR/HMにおいて、この無理矢理感が圧倒的に足りないことは確かな事実でしょう。
女性ボーカルがクリーンボイスで多少ロックっぽく歌ったところで、それは別に無理なく歌える音域でしかなく、そこには張り詰めた暑苦しさが介在しません。
その、ともすれば力を抜いているようにすら見えてしまう印象とHR/HMという音楽は、自分の中では決して相容れないのです。

そういえば、GALNERYUSはボーカルが変わる前より今の方が格段に人気ですが、私は昔の方が圧倒的に好きです。
これも、現ボーカルの軽々とハイトーンを出しているように聞こえる様子より、喉が千切れそうな勢いで歌っていた前任者の方が自分の中ではよりメタルだったというのが大きいかもしれません。

メタルコアが好きになれない理由

ここまで考えてきた中で、副次的に新たな自己理解も得られました。

私は「クリーンボーカルが当たり前のように入ってくるメタルコア」も大半のバンドを良いと思わないのですが、メタルコアのクリーンボーカルってそんなに声を張り上げないんですよね。
そもそも音程がそんなに高くないことが多いですし、無理して声を張るというよりも朗々と歌い上げている印象が強いです。

私はメロディックデスメタルがドカンと流行った世代なので、メロデス全般が好きなのですが、メロデス愛好家の多くが絶賛したKILLSWITCH ENGAGEをはじめとするメタルコアバンドについては「何をそんなに褒めるところがあるんだ、メロデスとは全然違うじゃないか」とずっと感じていました。
それには曲の構造というかリフの構成がかなり違う点ももちろんあったのですが、元々クリーンボーカルのパワーメタルが好きではあったのに、メタルコアのクリーンボーカルが全く好きになれない理由が自分でもいまいち不明でした。
これも女性ボーカルの話と同じで、「この人は血管がブチ切れるんじゃないか」とはあまり感じられない故に、自分の中でメタルとしての高評価を与えようがなかったのですね。

ここまで考えた末、「自分はそんなにメタルが好きなわけではないんじゃないか?」と不安になってきました。
例えば、Ozzy Osbourneの功績は讃えつつも音楽的に好きだったことは正直あまりない。
メタルコアやゴシックメタル、ドゥームメタルの類は、どれだけ世間の評価が高くてもそんなに良いと思わない。
実際に今まで、ボーカルが女性のバンドを適正に評価せずにきたわけです。
これはちょっと「好みの問題」と呼べる範疇を逸脱していますね。

歌は全て技術である

ともあれ、Adoの話に戻りましょう。

Adoの歌い回しは一種の激情系というか、あれほど「感情をこめて歌っているように聞こえるボーカル」はそうそう多くありません。
ここでわざわざ「感情をこめている“ように聞こえる”」と書いたのも、全く「実際には感情がこもっていない」的な批判の意図は一切なく、それこそがボーカリストに必要な技術だと私は考えています。

ボーカルに限らず何の楽器でも、「心を込めて演奏します」と口で言うだけでは何の付加価値もありません。
「情感たっぷりに演奏する」というのは、実際にそういう心持ちでいるかどうかとは別軸として「そのように聴かせるための鍛錬が求められる、ある種の芝居じみた側面も持つ高度な演奏技法」です。

最近でいえば、ギタリストのMateus Asatoがスピッツのロビンソンを弾いた動画は極めて分かりやすい例でしょう。
タメを効かせながらもテンポが崩れない演奏、ピッキングの強弱でクリーンとクランチを行き来する絶妙なコントロール、コードのアレンジ、全体の音作りに至るまで全て含め、これは「聴き手の感情に訴えかける要素を盛り込むテクニック」が凄いのです。

おそらくAdoは「命を削って歌っている”かのような感覚を聴き手に与えるテクニック”」が物凄く上手い。
私は女性の声でもそういうメロディックパワーメタルが聴きたいのです。

【余談】世のガールズバンドの扱いはもうちょっと何とかならないのか

と、ここまでいろいろ考えたことで自分の考えを整理することができたのですが、ここまで書いてきた私の個人的な印象とはまた別の問題として、女の子にバンドやらせるのにそんなギミック必要か?と感じる局面は数多くあります。

ALDIOUSに端を発するいわゆる嬢メタル(この呼び方もなあ…)など、一般的なライブ演奏のファッションとは異なる見せ方をすること自体はまあ、ヴィジュアル系やファンタジー要素の強いスピードメタル等でも広く行われていることです。
女性だけでバンドを組むというのも、男女混成にはないやりやすさが絶対にあるのだろうと思います。

ただ、よしださくらあんなギター上手いのに揃いの衣装でそのコンセプトでやらなあかんか?とか、

佐藤奏あんなドラム上手いのにこのキッツいコンセプトに付き合わなあかんのか?とか、

いや、でもこういうのは余計なお世話ですかね。
こういった見せ方のバンドを求めてる客層が実際に山ほどいるわけですから。

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